ブックタイトル連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡
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連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡
です。美里BC設営に関しての私の仕事は、美里BCでの宿泊場所の整備、朝食と昼食の確保、風呂の確保でした。宿泊に関しては、BCの施設に寝泊りできるように畳を敷き、連合宮城で手配したクッションシートやゴザを敷き、毛布などを使って寝床がつくれるようにしました。朝食と昼食は、労働組合でお付き合いのあった美里町の弁当屋さんに手配することができ、毎朝持ってきてもらう体制ができました。私もその弁当を食べましたが、正直、仙台BCの弁当よりは具材もボリュームもよいものでした。美里では極端な物資不足にはなっていなかったということもあったのではないかと思います。風呂は、美里BCに近い大崎市田尻のさくらの湯を拠点にし、石巻市とBCの間にある涌谷町の天平の湯を予備としました。美里BCに変わってからは、ボランティアの帰着時間は17時くらいになり、私の帰宅も少し早めることができるようになりました。●なお、ボランティアが始まって以降、石巻地協では役割分担をして私がボランティア対応、事務局員が通常業務や震災関係の問い合わせなどへの対応を中心業務としました。連合の統一ボランティア以外にも、連合傘下の組織やその他の団体などから個別にボランティアができないかという問い合わせがありました。事務局員は、それを受けて地域のVCに紹介する作業も行いました。事務局員が受けた全国各地からの電話の中に、こんな支援をしたいのだけれどもという連絡はありませんでした。連合本部が見事に統括していたということでしょう。地元では、日本製紙労働組合石巻支部長が全国から受けた支援物資の一部を地協へ提供したい、不足しているものはないかと言ってくれたことがありました。ボランティア活動で感じたこと、いろいろボランティア活動では、気配りしなければならないことがさまざまにありました。作業を安全かつ正確に実施するためには、ルールを守るということが絶対です。例えば、先方の立ち合いがない場所には入らないというのが大前提でした。立ち合っていただき、どのように復旧すればよいか指示をいただいてから始め、うまく進んでいることを確認していただいて終わりにするというのが原則です。それは、ボランティア活動を始める最初の時に、VCとの間での打ち合せで連合宮城から強く主張したことでした。指定された場所に行っても先方がいなければ、そこでの作業はやらず、別の場所に移動するということを連合宮城の現地担当チームが受け持って徹底しました。逆に、連合がつくっていた基本的な作業ルールでも、現場の仕事に合わせて変更していったというものもありました。例えば、怪我を防ぐために刃物を使うなというルールがありましたが、刃物が必要な場面は少なくありません。最善の注意を払うことによって使えるように変えました。また、家屋の泥出しは床板をはがさずに行うことがルールでしたが、東松島市の現場で、別なルートで入っていたボランティアが床板をはがして作業をしてきれいに仕上げて喜ばれている例がありました。これを連合の担当者に伝え、VCと話し合ってもらった結果、床板をはがしての清掃が認められるようになったケースがありました。また、ボランティア活動の中では、記憶に残るエピソードも数多くありました。例えば、石巻市でのこと。日活成人映画専門店が冠水してしまい、幟が泥まみれになってしまい、女性のボランティアに洗浄を手伝ってほしいというニーズがありました。連合の須田局長と話し合い、内容が内容だけに女性の派遣は断り、男性を派遣しました。また、多賀城市で側溝作業をしていた時のこと。大きなフタを開閉しなければならない状況で、たいへんな作業だから、VCに機械のことなどの話をしてみようと言い合っているうちに、入っていた自動車労連の屈強なボランティアがいつの間にか作業を終わらせてしまっていたということがありました。方言の問題もありました。石巻市牡鹿での作業の時、地元の人が「こうして欲しい」といったことで何を言ってもボランティアが頷くだけだったことから、地元の人が怒りだしたという例があったのです。私が間に入ってみると、言葉が分からないということでした。なんとか私が通訳して事なきを得た次第でした。ちょっと変わったところでは、暑くなってハエが気になる季節になって、そのハエ取りにアイデアグッズが生まれたということもありました。ペットボトルに酒と砂糖と酢を混ぜて入れておくと、ハエが勝手に飛び込んで溺れてくれるというものです。地協の事務局員がテレビで見たことを、石巻市伊原津の病院で作業をしている時に実行してみたところ、たぶん匂いにひっぱられたのでしょう、山のようにハエが入ったのです。作業現場で何よりも気をつかったのは怪我と病気でした。その点でのエピソードもありました。暑くなり始めた頃のことですが、陽にあたって耳のところがやけどみたいになった方がいました。すぐに病院に行っていただいたところ、病院では無料で治療をしていただきました。地域と一体になっている活動なのだと、心底実感した場面でした。●連合宮城の現地担当者は、現場全体に目を配る役割で、絶対に作業に手を出してはいけないという原則でした。しかし、時には作業の進行上、手伝ってしまうこともありました。それで分かったのですが、泥出しや側溝清掃の作業は本当に重労働です。ボランティアの人たちのすごさが改めて実感されました。だからこそ、東松島の現場でしたが、作業が終わって帰る時に、2、3歳の子どもがベランダから手を振ってくれたのには、涙が出るほどうれしかったのを覚えています。第2章復旧・復興への取り組み95