ブックタイトル連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

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概要

連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

石巻地域にボランティアを受け入れて3月22日、25日に開かれた四役会議には参加していませんが、25日くらいには、連合からのボランティア派遣の話が伝えられ、受入態勢を確認して欲しいとの打診がありました。地協役員会を召集できるような状態ではなかったため、地協事務局長独断で受け入れることを回答。震災後、初めて参加した29日の地協事務局長会議において、ボランティア派遣に関する具体的なスケジュールや役割分担などを聞きました。この時は、タクシーを使ってでも来てくれという連合宮城からの連絡でした。しかし、石巻市では仙台まで走れるようなタクシーはありません。片っ端から知り合いを頼ってガソリンを集め、マイカーで鹿島台~利府~仙台と走りました。会議は、「ボランティアを受け入れることになったので宜しく」「はい分かりました」という確認作業です。その時、山崎会長から地域のボランティアセンターとの関係はどんな状態かを聞かれ、「震災前までは結構やりとりがありました」と回答しました。石巻市のVCは社会福祉協議会の中に常設されていて、震災前の2月中旬頃に避難演習をしたばかりだったのです。「じゃあ、連携は大丈夫だね。ボランティアを受け入れたら、どう手配していくか確認しておいて」と言われました。会議結果を電話で地協役員に伝えると、石巻地協構成組織では、復旧・復興に向けての取り組みで手いっぱいであり、ボランティアに対応できるような状態ではないとの意見が大半。地協事務局が前面に立って対応することを決断しました。ヒアリングコラム9美里BCでの活動を振り返って石巻周辺では何が起こっていたか、美里BCで何ができたか石巻地域協議会加藤雅基事務局長(所属:自治労・石巻市職員組合)実施段階になって驚きました。予定では、津波被災地では交通の問題や地元の混乱状況もあるので、まずは仙台市近辺から入り、石巻地域には第2クルーからと聞いていました。その方向で動いていたのですが、第1クルーで、4月2日から多賀城市と石巻市に入るというのです。急遽石巻VCと協議し、受入態勢の確保に奔走し、受け入れられるということでOKを出した次第です。結果、なんとかマッチングし、連合・高木次長同行のもと、派遣団受入に成功しました。その後、VCとのセッティング機会も増え、相互の協力関係を構築し、東松島市や多賀城市での受入も行うようになっていきました。美里BCの運営へボランティア受入が始まって以後、私はずっとボランティアに貼りつき、第1クルー(3月3 1日~4月7日)から第5クルー(5月10日~5月17日)までは仙台BCから多賀城市、石巻市、東松島市に入ったボランティアに付き添いました。ゴールデンウィークにはボランティアが殺到して対応しきれなくなったため、東松島市に行ったり、石巻市に行ったり、日替わり状態のようになった時もありました。美里町にBCができた第6クルー(5月18日~5月25日)からは美里BCから石巻市へ、東松島市へ、多賀城市へと入るようになりました。移動の時間を読めるようになった分、作業に費やす時間が拡大し、VCからの期待も高まりました。石巻市では石巻専修大学にVCの拠点が置かれていました。私は地協の車で7時半くらいまでにVCまで行き、その日の作業内容と場所を確認しBCへと連絡して場所を指示してバスを向かわせ、到着を待つという役割でした。私にとっては、必要な場合にはボランティアを乗せた大型バスに先行して、バスを停めておける場所を見つけることも大きな仕事でした。VCとの話し合いの時に、そのような場所での作業割り振りを行い、それができない時には先行して場所を探したのです。仙台BCから入ってきていた時期には、石巻市にバスが到着するのは10時、11時です。午前中に少し作業をし、昼食を取って、午後は16時くらいまでに終了してバスで仙台に戻ってもらうという毎日でした。限られた時間での作業ですが、ボランティアが始まった当初は作業も多くハードで、15時半、16時くらいまでかかりました。バスが仙台に戻ったのは18時頃だったはずです。私は、現場でバスを送った後、地協に戻り、道具を車から下ろして清掃し、破損したものは修理したり、急いで買い替えに走ったりして翌日の作業の準備を完了。最後にバタバタと報告書を書いて、20時~21時くらいに帰宅するという毎日でした。この時間のロスを解消するため美里町にBCを設営することになったわけですが、遠田地区労働会館に拠点を置くことに決まった経緯には石巻地協は関わることはできませんでした。それどころではなかったというのが正直なところ94東日本大震災復興の活動記録