ブックタイトル連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

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概要

連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

などと協議して現場を確認。毎朝、自宅から現地のVCへ直行し、センターのスタッフと細部を話し合い、資機材を揃え、バスの到着を待つようにしました。到着すれば若干のトイレ休憩をした後バスで現場に向かい、バスの中でその日の作業内容と注意すべきことを伝えました。怪我はもちろん、寒い時期には風邪に、暑くなってからは熱中症などへの注意を繰り返し強調しました。移動時間のバスの中が、唯一の全体ミーティングの場でした。仙台BC出発が7時半くらいで、亘理着が8時半くらい、10分くらいのトイレ休憩をはさんで9時過ぎくらいに現地着といった日程だったのではないかと思います。それに合わせて私は7時半過ぎには亘理町のVCに入り、バスがどこまで入れるか、どんな資機材が必要かなどを確認しました。もちろん、その場所ごとに適切な資機材が使えるように、バスには余分な資機材を積み、一輪車などは現地で組み立てることができるようにしていましたし、角スコップと丸スコップの両方揃えるなど丁寧に気配りしていました。そして、作業の終わりは遅くても15時。あと30分で作業が完成するといった場合には継続することもありましたが、15時までに終了を原則としました。もちろん、その日に作業が終わらなければ翌日も作業を続けることになります。帰りは疲れてもいるので、バスの中でミーティングのようなことはしません。15時半から16時くらいにVCに戻ってBCへ第2章復旧・復興への取り組み14時46分、黙祷家主さんの御礼をいただき第6クルー終了七夕が飾ってあるVC内帰るバスを見送り、資機材を洗って戻し、報告書を書いて冨田副事務局長に終了報告をして完了となりました。活動が終了した後は、柴田町の地協事務所に戻り、その日にあった出来事を事務局長から聞いたり、ボランティア活動の報告書を作成したりと、仙南地域での活動の時は、そのようなサイクルの毎日でした。●この作業の初期の頃、不安だったことがあります。現地に入り、人がいる場所で作業をする場合、地元の人に対してどんな顔をすればよいのか、どんな言葉かけをすればよいのかということです。しかし、被災者の方々から「どうもね」とかの声をかけられることがあり、気をつかってくださっているのが分かり、すぐに不安も解消していきました。また、側溝清掃などの場合は、行政区長や副区長さんが待っていてくれて、その日の仕事の指示を出しながら、ジュースを差し入れしてくれたり、昼食のために車庫や倉庫を使ってもいいよと言ってくれたり、地域を上げて支援してくれる場面もありました。側溝は自治体が管理しているものなので、清掃作業も自治体が行うはずのものです。しかし、少しでも早く街をきれいにしたいのでボランティアにお願いしているということで、住民サイドには地域をあげてボランティアへの感謝の気持ちがあったのだと思います。ただし、いいことばかりだったわけではありません。フタを開けて側溝掃除をしている現場で、フタを開けっぱなしにしていたら、「いま地震が来て車で逃げようとした時に車を出せないじゃないか。どうしてくれるんだ」といった言葉を寄せた方もいます。そんな時、住民とボランティアの間に入って丁寧に対応するのが、現地対策班の役目です。私は、「今日はここからここまでの作業です。1時間だけフタを開けさせてください」といった説明をして納得してもらよう対処しました。また、たまたま家の近くの側溝清掃をしていて、昼食時に、個人の家の敷地にジュースやクーラーボックスを置いてしまって、「誰に断って敷地に荷物を置いているんだ」と怒られたことがあります。この時も私が「申し訳ありません。すぐに荷物を撤収させます」と言って、撤収させて乗り切りました。連合派遣の役員が出て行くと上から目線と思われるような心配もあるので、できる限りそれは避けるようにしたのです。ボランティアはしてあげているのでなく、させていただいているという姿勢でなければいけないと強く感じていたことからの行動でした。87