ブックタイトル連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

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概要

連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

当を用意しました。進めていくうちに、朝は軽くてもいいので昼はボリュームアップしてくれといったボランティアからの要望も受けてもらえるようになっていきました。また後半には、知っている業者に手配できるようになり、朝はおにぎり、昼は弁当に変化させたり、季節によってメニューにも変化を持ち込んだり、いろいろと注文もできるようになりました。しかし、物資不足のため飲料水の手配はたいへんでした。連合からは、1日2本を持たせて現場に出して欲しいとの要望がありましたが、当初は2本をまかなうことも難しいことでした。そんな中、UIゼンセン同盟からコカコーラの差し入れがあり、美里BCへも配るといったエピソードがありました。お風呂は宮交会館にもあったのですが、地震で壁やタイルが剥がれたのを修復しなければならなかったし、大勢で利用できるほど大きくはなかったので、向かい側のスポーツジムのシャワールームを借りたり、作業場所の通り道にお風呂を見つけて帰り道にお風呂に立ち寄るといったプランニングをしました。BCでの生活支援に関して特に注意したのは、衛生面でした。ボランティアを送り出した後は毎日、宮交会館の宿泊場所の窓を全部開けて換気し、4月後半くらいに業者の手配ができるようになってからは簡単な掃除もするようにしました。第2章復旧・復興への取り組み4月25日東松島市にて5月11日石巻市にてボランティア活動を振り返って全体を振り返ってみると、いくつかのことが浮かんできます。連合宮城の中での役割分担はしっかりとできていました。各自が、出身単組時代にしていた仕事などをうまく生かしていたことも理由だったのかなと思います。私の場合、旅行会社である宮城交通時代に、バスの手配、弁当の手配などの手配業務を経験していました。だから業者についての情報もあったし、業者のできる・できないについても理解できたため、ボランティアからのニーズも、業者からのウォンツも考え合わせながら、この被災状況、物資不足の状況の中では、比較的上手に手配できたと思います。朝食は、6時半くらいにはBCに届いている必要があったのですが、人手不足や食材不足が心配された弁当屋が見事に対応してくれました。また、各分担間のコミュニケーションもうまくいっていたのではないかと思います。例えば食事に関して言えば、あらかじめ、このクルーの食事はこんな感じでといった決め方をしていたわけではありません。ただし、食事は連合本部のスタッフも現地で食べるものでしたから、「ちょっと多すぎるかな」「ちょうどいいよ」などの感想や要望はタイムリーに私へと伝えられました。それを反映させて変化させていくことができた、とは言えるでしょう。さらには、ボランティアが自分のポジションをわきまえていたということも感じます。私の仕事は、BCの地協担当者から作業の完了の報告を受け、宮城VC調整チームへと連絡して翌日の手配をし終えるのは19時とか20時。21時くらいまでの帰宅というのが、毎日でした。当然、休みもないという状態でした。この間、私がボランティアグループの人々と直接顔を合わせる機会は各クルーの入団式と解団式の時でした。山崎会長、冨田副事務局長と一緒に参加し、BCの担当であることを紹介されました。そんな時、参加しているボランティアの皆さんは、自分がどんな場所に、何をしに来ているかということも、自己責任で来ているということもご存じの方々なので、改めて私からこまごまと注意するような必要はありませんでした。話をして欲しいと言われたこともありませんでした。もしかすると連合本部のスタッフが話していたのかもしれませんが、ボランティアの人々の態度には感心しました。75