ブックタイトル連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

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概要

連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

「宮城VC調整」の仕事は、どういうものだったか3月22日か25日の四役会議でボランティア受入が決定され、ボランティアの受入先、宿泊場所、食事場所、お風呂、現地への交通手段をどう確保するかという具体的な役割分担が議題になりました。連合宮城にとってボランティア対応など全く初めてのことであり、体制についてマニュアルのようなものがあったわけではありません。山崎会長の腹案を冨田副事務局長が形にした組織図と割り振りを示され、それぞれの活動内容について「こんな感じ」といった理解で進んでいったように記憶しています。私が担当する「宮城VC調整チーム」の役割は、1県内VC状況の把握2宮城VCとの派遣先の調整3現地へ入るためのルートの確保4救援活動内容の把握、調整ヒアリングコラム4ボランティア活動は、どのように本格化したか「宮城VC調整チーム」の活動を振り返って連合宮城櫻井智昭副事務局長(所属:電力総連・東北電力労働組合)という内容でした。受入先は、宮城県ボランティアセンター(宮城VC)と調整し、それを「宮城VC調整チーム」リーダーの私が担当しました。宿泊場所、食事場所、お風呂、現地への交通手段をどう確保するかは「ベースキャンプBC総務」の山田副事務局長が担当することになりました。この体制も、実際に受入が始まり、各地のベースキャンプ(BC)が活動の中心となっていくと共に、BCに張りついた地協事務局長と、地域VCとの調整に移っていきました。毎晩18時から始まる宮城VCのミーティングに出席し、ボランティアの活動報告やニーズ把握などについて話し合いましたが、次第に活動報告のみとなっていきました。ボランティアニーズは徐々に変化していきました。その大きな理由は、復旧・復興のための片づけ作業をボランティアの活動ではなく、国からの補助事業や雇用事業に変えていく必要が生まれてきたからです。そのため、6月頃から宮城VCのボランティアニーズが減少し、地域VCの中にも閉鎖されるところが出てきました。一方で、連合のボランティア派遣計画は半年間、9月まで決まっています。どう調整し、ニーズを確保していくのか。私は、佐竹仙南地協事務局長と一緒に地域VCを訪問し、あるいはNPO団体にも接触し、町内会から側溝掃除の地域ニーズを聞き出すなど受入先を確保するのに苦慮しました。地域VCにもよりますが、VCに来るニーズは団体(大人数)に依頼する内容ではなく、少人数に依頼する内容に変化していました。少人数に分けて受け入れてもらったVCもありましたが、その場合、たまたま全員が活動できたものの、全員に活動が行き渡らない危険もありましたので、とにかく団体受入を中心に考え調整しました。地域VCのニーズが減っていく中、最後の方は、NPO法人と連携し、この地域の側溝掃除は連合担当として調整しました。依頼を受けるボランティアから攻めるボランティアに変化していきました。宮城VCへの派遣なども宮城VCからの依頼で、地域VCの受付ボランティアへの派遣要請もありました。受付ボランティアは地元である連合宮城が活動主体となりました。構成組織に依頼し、いくつかの組織から複数名のご協力をいただきました。また、連合宮城事務局員の派遣も行いました。また、連合派遣ボランティアとは別に、隣県地方連合会および全国の地方連合会からのボランティア希望もあり、総合調整チームの冨田副事務局長と話し合ってマッチングなどの対応を行いました。これらは、以下のような結果が残っています。72東日本大震災復興の活動記録