ブックタイトル連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

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概要

連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

ボランティア受入決定までの経緯連合宮城では、震災以前から宮城県VCとは連携があり、災害が起こった場合の対応について話し合っていました。全国からのボランティアの受入なども話題になっていました。そのため、3月17日に山崎会長と一緒に宮城県災害VCを訪ねて意見交換を行った時には、スムーズな流れでした。3月14日に連合が災害対策本部を立ち上げ、ボランティア派遣の方針も決めたのですが、その経緯の中には当時東京に出張していた山崎会長が参加していました。会長は、帰仙した16日にその内容を連合宮城に伝え、連合宮城の対策本部を結成して共通理解にした上で、その内容を基本に宮城県と話し合ったのです。具体的にしていかなければならないことは、BCをどこに置くか、宿泊施設や交通手段や食料をどう確保するかといったことでした。連合に情報を一元化し、以後の交渉がスタート。3月19日、連合より南雲事務局長、磯部総務局長が来局し受入ヒアリングコラム2ボランティア活動の全体を振り返って連合、宮城県と、ボランティア活動支援に関してどんなことを話し合ったか…連合宮城佐藤剛事務局長(所属:自治労・自治労宮城県本部)要請、22日・23日、連合より林、西巻氏来局、受入内容案を提示、23日、宮城県災害VC支援連絡会議に参加し協議、並行して連合ボランティア派遣チームのスキーム作成といった流れを辿り、連合宮城では29日、連合ボランティア派遣の受入を決定しました。BC設置の経緯この間、連合宮城では会長と私が中心になり、連合の担当者と話し合いながら、BCを設置する場所としては仙台周辺から南の地域、石巻、気仙沼地域の3ヵ所を考えました。その上で、地域の状況、宿泊施設の有無、経費、交通状況などを勘案し、仙台地域と石巻地域では仙台BC、気仙沼地域では一関周辺に姫乃屋BC、その後の千厩BCで対応するものとしました。しかし仙台から石巻に入ることは時間的なロスが非常に大きいものだったことから、まもなく小牛田周辺に美里BCを設置して石巻地域をカバーする体制としました。この頃には各地協事務局長とも連絡できるようになっており、BCの具体的な選択、整備は、ボランティア派遣団に対する体制に従って分担対応するようになっていました。BC総務や現地対策班のメンバーが、100人くらいの人間が雑魚寝でき、トイレがあり、近くに食事を入手できる施設がある場所といった視点から候補施設を選定していきました。当然、経費面などを含めて、最後の決定は連合の林、西巻氏の仕事です。私は、ボランティア対応における連合との連絡、ボランティア派遣団と地域の関係などに目配りしながら、並行して連合宮城の組織体としての動き全体を把握し、管理する役割に徹しました。問題があれば臨機応変に小会議を開いて検討したり、四役会議を開いて決定したり、やらなければならないことは多様にありました。ボランティア派遣も、順調に進んでいったわけではありません。各地のVCとの連携によって毎日の作業場所が決まっていくのですが、地域のニーズがなければなかなか煮詰まらないこともあります。穴が開かないようにするために、現地に走って調整するような場面もありました。私は毎日7時前には連合宮城にいて、7時くらいから動き始めるVCやBCからの突発的な連絡にも対応できるようにしていました。美里町小牛田の自宅出発は6時前です。初期の頃58東日本大震災復興の活動記録