ブックタイトル連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

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概要

連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

加藤全国には、いまでも毎年ボランティアに入った地域を訪ねているという人もいます。横浜の人は、10年は続けたいと言っていました。山本広島の平和集会などに行くと、「あの時はお世話になりました」「復興は、どんな状況ですか」といった声をかけられることもあります。現場にいた私たちの顔を覚えていてくださったりするのですね。小田島いまでも連絡がいただける方が全国にちらばっています。最後に:次へ伝えたいこと佐藤このボランティア活動から、どんな成果や教訓が引き出せるか、伝えたいことは何か。そんなところで締め括りましょう。山崎ボランティアは現地でたいへんな作業に取り組んでいたけれど、連合宮城って何をしたのと言われたことがあります。須田気にしなくていいのではないですか。岩手県は日教組と基幹労連、福島県は電力総連など中心となる産別がいて取り組まれたボランティア活動でした。対して宮城県は、それ以外の産別が全部入った混合部隊での活動でした。それを上手に対応してくれた連合宮城は、すごかったというのが全国の構成組織からの評価です。山崎連合宮城は、何かあった時、すぐに動ける、いつでも動ける、そういう体制とスタッフが揃っている組織だと総括していいのでしょうね。後藤2015年の大崎地域の洪水被害の時にも応援に入って、2日かかると言われた仕事を1日4時間かかりきりでやり遂げてしまい、社会福祉協議会の方に感謝されました。その方から、震災の時、石巻地区での連合の活動を見知っていて、連合ならやってくれるのじゃないかと思っていましたと言われたのが印象に残っています。加藤東松島市では連合を指名して声がかかりました。山崎連合は、スタッフの一人ひとりの意識が高い。その上、連合宮城では、宮城県沖地震があるぞ、あるぞと言われていて、災害に対する一人ひとりの意識が高かったのだと思います。冨田だから、経験したことがないのに、震災の時にはそこそこに実行できたということなのでしょうね。山田それに、連合は様々な業種の労働組合の集まりなので、それぞれの得意分野で力を発揮できたということもありますね。須田横になってしまった自動車を戻したのは自動車総連の人。バールを使ったり、タイヤを直したりしたのは鉄道関係労働組合の人。バスが故障した時、直してくれたのはJAM。冷蔵庫がこわれたら電機連合。そんなことが、いろいろとありました。櫻井それぞれに働く環境が違うのに、同じ目的に向かって一つになり、本当によくまとまりました。佐竹やらざるを得ないことは、しっかりとやりきるという責任感ですね。スタート時点では、私も、ボランティアって何をするの、この状況でどう動けばいいのという疑問がありました。しかし、決めた限りは会長のリーダーシップの下、一つにまとまって行動したと思います。連合宮城も連合も、そういう組織だということを是非伝えたいですね。第2章復旧・復興への取り組み119