ブックタイトル連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

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概要

連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

総括座談会それとは別に、作業に使う機材(ショベル等)などを連合宮城に手配してもらいました。それらを揃えるためには、連合宮城のネットワークや行動力が不可欠でした。冨田連合宮城では、構成組織に加盟する労働組合から広がる全国ルートなども活用して手配するのと平行して、サンデーやコメリなどのホームセンターを活用しました。地域では、救助や捜索活動に携わる消防や警察と並んで一、二を争うお得意様だと言われました。山崎買うだけでなく、改良や修理もうまくいったのではないですか。加藤例えば機材運搬車には石巻地協の街頭宣伝車(ライトバン)を使い、一輪車やリヤカーを数多く運搬できるように積み方を工夫し、一輪車を8台も積めるようにしました。その写真やマニュアルが下記のように残っています。須田5月下旬の暑くなってきたころには、気仙沼地区や石巻地区の現場で病院の窓などにつけるハエ取りを開発したり、千厩武道館の窓につける網戸を作ったという例もありましたね。山本沿岸部では腐爛した魚が片づけられていないため、ハエが大きく育ってしまい、ハエ取りは不可欠でした。また、武道館の風通しをよくするためには、上の方にある窓を開けるための網戸も必要なものでした。加藤暑くなってからは、休憩にも食事にもテントが役に立ちました。須田若手に教えておきたいことで言えば、暑くなった時期の寝袋の使い方などがありますね。くるまって寝るだけでなく、全部ファスナーを外せば肌がけになります。タオルケットなどなくて機材運搬車にも丁寧に気配りした116東日本大震災復興の活動記録