ブックタイトル連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡
- ページ
- 115/140
このページは 連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡 の電子ブックに掲載されている115ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡 の電子ブックに掲載されている115ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡
由もありました。加藤女川町でも、行政に受入態勢が整っていないというのがネックでした。団体の受入はできないと、頑なに断られました。佐竹山元町も同じです。自衛隊などの捜索、救助が入っている期間が長くなり、それへの対応のためボランティアの受入態勢がないというものでした。邪魔をしないようにと考え、亘理町まで入るのが精一杯でした。須田気仙沼市、石巻市、仙台市などに入ったボランティアの皆さんの中には、南三陸町、女川町、山元町でお手伝いできなかったのが残念だったと言う声が聞かれました。活動を終えて帰京した後、個人で、地域のVCに連絡してボランティアに入った人がいたという話が伝わってきました。北舘私は、そういうふうに南三陸町へ行ってきた人を見ました。ボランティアに入って達成感を感じ、地域への支援の気持ちが強まったということなのでしょうね。地域のニーズを拾いあげる態勢を整え、ニーズとボランティアをマッチングした山崎ボランティア受入が決まってからは、その仕事内容に関しての議論になりました。須田全国から集まるボランティア参加者には、何かやらなければならないという使命感や、みんなを救いたいといった高い気持ちがあります。山崎それが、被災地域にとっては、ありがた迷惑なところもあります。そのギャップをどうするか。須田さんが間に入って、その調整の役割を果しました。佐竹VC調整チームがVCとの協議の中から地域のニーズを聞き出して派遣先を決め、現地対策班が作業内容を各グループに指示し実行していくという体制でしたが、地域のニーズとボランティアの希望をマッチングする仕事がたいへんでした。櫻井少人数での作業は多かったのですが、連合のボランティアは数十人単位です。それだけ大きな人数のニーズは、それほど多くはありませんでした。山本ボランティアからは、何とかしてくれという声があがりました。加藤VCに対しては、小分けもできるので入れてほしいと話したこともあります。佐竹石巻地区は牡鹿半島まで含む広いエリアだったので、多様なニーズがあったように思います。山本気仙沼地区は、行政も初めてのことだったので、なかなか見つかりませんでした。後藤私たちが地域に入って探してみると、側溝掃除なども仕事になるのではないかと感じられました。VCには届いていない情報だったので、それが仕事にできることをVCに伝えました。櫻井VCからニーズが上がってくるのを待っているだけでは、仕事も限られます。連合宮城としては、県内構成組織の役員や連合宮城の事務局員をVCに派遣し、ニーズを見つけ出す仕事に携わることなども行いました。VCの内部にいると、地域にあるニーズのバリエーションが分かってきます。連合を除けば、ほとんどのボランティアは個人か、少人数のグループなので、こまごまとしたニーズにマッチングさせやすいものです。「行きたい人」と呼びかけ、何人か集まれば、「ここへ行ってください」と指示をすればいいわけです。私たちは、そのようなVCの仕事へのお手伝いから、ニーズの多様性と、丁寧な対応の必要性が見えてきたように思います。名取市のカーネー第2章復旧・復興への取り組み113