ブックタイトル連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡
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連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡
総括座談会被災地復興の邪魔にならないようにするという原則を貫いた山崎連合からボランティア派遣に関して打診があった時、正直のところ、何を言っているんだという気持ちでした。宮城県全域が被災地であり、救助、捜索等にかかりっきりになっているところに入ったら邪魔になるばかりじゃないか。連合宮城も、安否確認や復旧で手いっぱいだと伝えました。須田連合としては、それは分かった上でのことでした。連合には、「被災地・被災者に迷惑をかけない」「現地の指示に従う」「安全確保」という〈連合ボランティア・3つの原則〉をはじめ、厳しい「ボランティア活動の心がまえ」があり、地域の邪魔にならないように活動することにより被災地のお役に立つことができるという認識がありました。そのために、既に被災3県に先遣スタッフを派遣し、状況もそこそこに把握していました。山崎連合宮城としては、それなら受け入れるだけだと判断。ルールを厳守して実施することを念押しして受入をスタートしたのです。須田始めてみると、現場に着くと被災地の写真を撮ろうとするようなボランティアもいました。それらに対しては、現場での作業開始前打ち合せですぐに注意してやめさせた上で、連合にもクルー出発時に厳しく注意するよう伝えました。山崎それらのことは須田さんに任せ、ルールが徹底されるのを待ちました。須田さんは、ずいぶん強い口調で連合に徹底してくれたのでしょう。不謹慎なボランティアの行動は、すぐになくなっていきました。須田私だからできたというのではなく、担当者が代わっても、連合ではそういう意思決定、行動は徹底されていたと思います。それぞれの団体が責任をもって参加しているから、厳しい話になっても耳を傾け、分かり合えました。口だけじゃなく、体を動かすことが共通の理解になっていました。北舘被災地では、多様なボランティアが入っていて、中にはボランティアのプロのような人たちも見られました。ボランティアが仕事みたいになっていて全国を渡り歩き、実作業はしないでまるで指揮者のように振る舞ったり、うるさく口出ししたり、自分がやりたいことを優先したり、ボランティアだから大切にしろといった態度を見せる人たちです。連合のボランティアは、絶対にそうではなかったと思います。連合宮城の現地スタッフが、「そこまでやるんだ」と思うくらい丁寧にボランティアセンター(VC)などの指示を聞き、ボランティアに指示を徹底していたと思います。沿岸被災地全域へという方針を達成しようとした須田連合としては、津波被災した宮城県沿岸全域にお手伝いに入りたいというのが基本でした。連合宮城を通して地域のVCと協議してもらいました。山崎しかし、結局は南三陸町、女川町、山元町には入ることができませんでした。行政サイドに受入態勢がなかったというのが大きな理由です。山本南三陸町は、国道の橋が落ちてしまって大型バスが入れなかったのと、もう大きなボランティア団体が住み込む形で入っているので、連合のボランティアまで受け入れることができるかどうかわからないというのが理由でした。南三陸町に近い登米市の迫あたりにベースキャンプ(BC)を設けることができなかったことも重なって、あきらめました。北舘南三陸町では庁舎が被災してしまってVCも機能しておらず、協議ができなかったという理112東日本大震災復興の活動記録