ブックタイトル連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

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概要

連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

総括座談会連合災害ボランティア受入活動を総括して~できたこと、できなかったこと、次へ伝えたいこと~<連合出席者>須田孝総合労働局長<連合宮城出席者>※役職は、当時のものです山崎透会長佐藤剛事務局長冨田清和副事務局長(仙台地域協議会事務局長兼務)山田俊徳副事務局長櫻井智昭副事務局長佐竹一則仙南地域協議会事務局長小田島正洋塩釡地域協議会事務局長加藤雅基石巻地域協議会事務局長後藤完也大崎地域協議会事務局長北舘和彦仙北地域協議会事務局長山本勝彦気仙沼地域協議会事務局長2011年3月29日、連合宮城では臨時四役会議において連合災害ボランティア活動の受入を決定し、31日に第1クルーを受け入れてボランティア活動がスタートしました。しかし、春の選抜高校野球において東北代表として出場した東北高校(宮城県仙台市)が、28日の試合で大垣日大に0-7と敗退。翌日、帰仙すると、被災地でのボランティア活動への取り組みを始めたため、連合の活動が広く報道されることはありませんでした。以後、9月23日の第23クルー解団まで半年間にわたってのボランティア受入活動は、数多くの構成組織が参加し、参加者延べ人数10,871名を数え、静かに着実に、多くの成果をあげました。その特徴は、次のようにまとめられます。●被災地復興の邪魔にならないようにするという原則を貫いた●沿岸被災地全域へという方針を達成しようとした●地域のニーズを拾いあげる態勢を整え、ニーズとボランティアをマッチングした●地域から後ろ指をさされるような行動を徹底して排除した●宿泊地・食事・交通を確保し、機材を揃え、支障なくBCを運営した●女性ボランティアの受入態勢も整えた●地域とのふれあいも生まれ、いまでも交遊が続いている例もある3月29日に連合から派遣されてBC開設を先導し、以後、この期間中ほぼ全日、仙台に滞在して連合宮城と連合の間に立ってボランティア活動の展開を見守っていたのが、連合の須田総合労働局長。道路も復旧してきた後半には、仙台空港周辺から三陸自動車道を使って東松島、石巻、南三陸、気仙沼へと往復して現地を見回り、毎日の走行距離は400kmにもなったといいます。須田氏を迎え、当時の連合宮城の責任者全員とともに、改めてこの活動を振り返ってみました。第2章復旧・復興への取り組み111