ブックタイトル連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

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概要

連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

ボランティア視察に応えたことボランティア受入が始まってからは、連合はもちろん、産別、行政、マスコミなどに対して、機会があるごとに「現地を案内するので、来て、見て、肌で感じて帰ってください」「そして、家でも、職場でも、見たことを伝えてください」と言い続けました。そして視察があれば、私と佐藤事務局長で対応しました。例えば、連合の労働法制局の副事務局長が来局した折りには、私が仙台市~多賀城市~石巻市と案内したのですが、多賀城市を超えたあたりから海岸の被災地を間近に見て絶句し、写真を撮ることもできなくなりました。テレビの映像などで見ていたのとは全く違った印象だったのだと思います。鉄鋼労組出身の方だったので、仙台港や石巻工業港の工場地帯にも案内したのですが、船が打ち上げられ、ポールなどが倒れてしまった様子を見て、被害の大きさが改めて実感された様子でした。地震による建物の倒壊や道路の歪みが中心だった阪神淡路大震災との違いも、よく分かったのではないでしょうか。ボランティアの収束へボランティア活動の転換期が実感されるようになったのは8月のお盆頃からだったと思います。「もっと続けよう」という連合の意向と、「そろそろ収束に向かおう」という行政との食違いが出てきました。連合のボランティア活動は一つの場所に数十人で入って一気に片づけていくというスタイルですが、VCがセットする現地ニーズの規模が小さくなり、作業内容も個人住宅の片づけから側溝の泥かきなどへヒアリングコラム11ボランティアの収束へ向けて第2章復旧・復興への取り組みボランティア活動の収束、そしてこれから連合宮城山崎透会長(所属:電機労連・NECトーキン労働組合)と変化しました。私個人としては、しなければならない作業はまだまだたくさんあるように見えました。しかし行政サイドには、立ち退きを終えてしまった場所の片づけから、「仮設住宅」の建設、そして入居者への対応といった方向への転換が頭にあったのでしょう。連合宮城としては連合の意向を組み、現地のリーダーを通して現地VCに対して活動の場を要求していきました。それでも、9月には収束に向かったのです。連合としてできたこと、したいこと実は、連合宮城も含めた連合にとって、ボランティア活動は大きな仕事でしたが、それがすべてではありませんでした。復旧・復興へ向けて、労働組合として何ができるかという視点で取り組んでいたのです。全国の地方連合会から集まった支援物資の配送も、その一つです。「ゆかた」の配給と、イベントへの展開なども行いました。地域のVCに人員を派遣して事務を引き受けたのも、一例です。「仮設住宅」対策などにも関わりました。そして何よりも、連合としての力を集中したのが「政策制度要求」でした。だからボランティア活動が収束に向かい、終了した時にも、私たちとしては「復旧・復興活動は終わった」というものではありませんでした。「次に何をしなければならないか。何ができるか」を模索するという姿勢でした。私も、そういう指示をしていました。そして振り返ってみると、自分たちの復旧も、ボランティア活動も含めた地域への対応も、「意外と対応できたな」、「連合だからできたこともあるな」というのが正直な気持ちです。背景には、阪神淡路大震災を教訓として築き上げてきた災害対応への連合の考え方や、岩手・宮城内陸地震などを教訓として築き上げてきた連合宮城の行政との連携といった蓄積がありました。連合には、被災地からボランティアをお願いしますとは言いにくいし、被災地の判断を待っていては進まないという判断がありました。ゴリ押しとも言えるくらい強引に、ボランティア派遣を進めてきました。そして、全国的なネットワークという連合の強みが、それをバックアップし、確かな成果を残したのです。また連合宮城は、被災直後からルーティンワークを止めて、被災状況把握、安否確認を徹底し、ボランティア受入等、災害対策に集中したのです。大災害は想定したように起こるものではないし、対策したように動けばよいものでもないことが分かりました。では、どう対応していくか。組織と人間の資質を高めていくということが大きな教訓となったのではないでしようか。107