ブックタイトル連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

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概要

連合宮城 2011.3.11 東日本大震災 災害救護ボランティア 受入の軌跡

は、滑らないように注意すること、タバコを吸わないようにすることが大事なことを派遣団に伝えて欲しいということでした。もう一つは、水産加工場が被災して魚が散乱しているため衛生状態が悪く、指の爪くらいの銀バエが大量に発生しています。ボランティアが昼食におにぎりを食べていたら、真っ黒にハエがたかり、おにぎりを食べているのかハエを食べているのか分からないほどだったので、気をつけるよう伝えてほしいと話しました。そのほか、必要なことは電話でのやりとりなり、連絡がうまくいかなければ私の判断で実行していくこととしました。そのような中、現地では、いろいろとエピソードもありました。ボランティアは、被災地のために何か役に立ちたいという強い思いで入ってきている人たちです。スタートの時間が遅くなったり、もう少しで作業が片づくのに時間が来たといって作業を終了しようとしたりした時に、ちょっと強い言葉でのやりとりになり、作業終了時間を少し延長したりしたケースもありました。また、危険な作業はしないことが原則だったので、家屋の解体作業の場合は作業は行わないことになっていました。しかし、費用もかかるし、重機の作業では家の中の思い出の品などまで壊してしまう心配がありました。手作業で実行し、大事な物を家族に返すようにしよう。そんな思いで瓦を剥がし、屋根を剥がし、タンスや書棚を担ぎ出して家人に引渡し、貴重品を持ち出してもらうような第2章復旧・復興への取り組みこともしました。私の立場としては危険なことを止めなければならないのですが、被災ご家族のために、「怪我をしないように、しないように」と気配りをしながらも敢えて実行に踏み切ったケースもあったのです。田畑に流れ着いた漂着物の除去作業では、細かいガラスとか釘とかも落ちているので、それを視認するのがたいへんな作業でした。横一列に並んで、丁寧に拾い上げながら歩いていくことの繰り返し。炎天下ではたいへんな作業でした。気仙沼市の魚市場での作業では、魚の入ったタンクの洗浄作業の時、岩手交通のバス運転手さんに手伝ってもらったこともあります。BCと現場間でボランティアを送り迎えする運転手は、現場に着けば、帰るのを待つだけ。そんな中で、運転手は長靴をトランクから出してきて、洗浄を手伝ってくれました。写真を見たら一人多い。「なぜだ?」「あれ、キャップを被っていないぞ!」ということで、手伝ってくれていたのが分かったのです。釘を踏んだりした怪我人や病人が出れば、即、私が病院へと運びました。連合本部からの派遣担当者と相談して夜間の救急病院に連れて行ったこともあります。そういう場合、連合から出身構成組織へと連絡される体制になっていたようで、他の人に風邪を移さないようにと考えた構成組織が強制的に迎えの車を寄越したケースもありました。涙ながらに「ごめんね」と帰って行ったのが印象的でした。連合だからできたこと作業現場で、被災者から感謝された例は数多くありました。ある写真屋の住宅に入った時には、「おかげさまできれいになりました」「復旧した折りには、皆さんまた気仙沼においでください」と感謝され、記念撮影をしてもらいました。ある民宿の片づけに入った時には、「立派になりました」「タダで泊まってもらうので、いつか来てください」と感謝されました。また、中心部の側溝の泥掻きでたまたま気仙沼地協の構成組織の組合員宅に入り、連合のキャップを被っているボランティアに気づいた彼から、「ありがとう。これなら雨が降っても冠水しないで済むよ」と感謝されたという例もありました。連合が派遣してきているボランティアは、それぞれ専門職場の組合員なので、得意な知識や腕があります。家の中の後片づけも、側溝の泥出しも、上手に機材を使ってこなしていくグループがいました。千廐BCから現場へ向かう途中でバスが動かなくなってしまったことがありましたが、自動車総連関係の人が、点検ハッチを開けていじって直してしまったといった例もありました。これらのことが、専門技を持たない学生ボランティアなどとは異なるところで、現地で重用され、感謝された一因でもありました。連合の認知度が上がったのではないでしょうか。101